丸山泉さんの講演を視聴して(青森のK医師より感想が送られてきました)
青森のK医師より、丸山泉さんの講演を視聴した感想が送られてきました。御本人の了解をえましたので、みなさんと感想を共有したいと思います(事務局)。
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丸山泉さんの講演を視聴して
丸山泉さんの講演をリアルタイムで聞いた同僚が「とても考えさせられる胸に響く内容だった」と教えてくれ、私はアーカイブを視聴しました。
私にとってもまさに胸に響く、考えさせられる内容であり、心に残ったことを書き留めたいと思い感想をしたためました。
泉さんの父であり戦争経験者の元軍医で詩人である豊さんがハンセン病の元患者さんたちとの交流を通じて(まだらい予防法が施行されていた時期と思います)、施しではなく、元患者さんにも「(今日的な精神の疾患、孤独や不安や不自由、真の黎明への期待について)籟を病まざる私たちと共通の課題を背負い同様な責任を持っているのである」と、責任があると断言していること。これは、豊さん自身が権力を持たないということとともに、泉さんがおっしゃっていた、そうすることで豊さん自身も責任を負っている、と。並大抵の覚悟では言えない言葉です。同じ当事者であり対等であることを理想ではなく、断言していることに、本当に過去の人なのだろうかと思う先進性はあると、ゾクゾクしました。これは、戦後すぐの車座になって民主主義を確かめ合った人たちにはそういう感覚が一時的でもあった、ということでしょうか。そうなれば、今を生きる我々こそが民主主義を経験していないのかもしれません。
また、泉さんが多くの戦争体験者はそれを語ろうとしない、と戦争体験のある患者さんから戦争体験について話されることはなかったというくだり、これはだからこそ、語ることを選択してくれた語り部となっている方々の声が貴重であることの裏返しだなと思いました。
自分のルーツに思いをはせると、私の祖父母は沖縄本島の出身でそこで暮らし、母(1950年生)はパスポートを持って東京の大学に進学した人です。祖父は若い教師として子どもたちとともに地上戦を逃げたそうですが、生前、そういう話を聞いたことがなく、認知症が進み「天皇ばんざーい」と言っていたと聞いて、なんで最も虐げられたはずの沖縄の人間が、天皇万歳なのだろうと違和感を持っていたことと少し、重なりあいました(私の想像ですが、祖父は20代の頃までに戦前の最も激しい皇民化教育を受けそれを教える立場にいた人間でした。戦場で天皇の「御真影」を焼かなければならない場面で、同じ青年教師たちと咽び泣いたという記録が、川満彰さんの陸軍中野学校に関連するご著書に書かれていました。このことにはジェンダーの視点では複雑な思いもあります)。語る準備ができないと語ることはできない。
また、講演で流れた映像で豊さんが「戦争を経験したことを声高に言いたくないよね。これからの人だって、辛いことがあってそれを耐える、耐えるしかない、人間っちゅうのは」と意訳ですがおっしゃっていて、この話しから学ぶことは、戦争だけが辛いものではなく、戦争だけが最も悲惨ではなく、その人にとっての辛いこととどう向き合うかが問われるのだということでした、私には。
ですから、天災ではなく為政者の意思で開始する、戦争そのものを選択しないという道が、平和の準備が大切なのだなと思います。
戦争がなければ、トラウマや「むしば」となりうる出来事が確実に減るのですから。
豊さんのいう虫歯とは何かと考えあぐねましたが、自分がしてしまった加害の経験が虫歯であり、そのことに蓋をしないことを説いたのかと思いました。後悔かもしれません。
加害経験=虫歯となれば、虫歯は必要なものではなくなくしていきたいけれど、生きていれば大小の加害経験が蓄積されるはずで、特に医師は権力を持っているので、加害する危険性と隣合わせですから(私は子育て中ですので、親という立場も子に対して権力を持っていることに自覚的でありたいです)、その加害のことを忘れずなかったことにしない姿勢が重要なのかな、と思いました。
丸山泉さんのお話は、5年前に聞いても、5年後に聞いても、私が学ぶことは違ったんじゃないかなと思います。やはり戦争経験から学ぶことは、まだまだあるということです(もちろんそのために戦争する必要はない)。
戦争反対、という守りの運動にとどまらない、今に生きる私たちがどう生きるかを考える貴重な機会として今回の講演会があったなと思います。
パターナリズムとプロフェッショナリズムの関係を私なりに考えてみましたが、パターナリズムを排したプロフェッショナリズムは可能であると現時点では思いました。適切な例えではないかもしれませんが、しつけと体罰(虐待)の関係と似ていると思います、体罰(虐待)を排したしつけは可能であると。むしろ「しつけ」を口実にした体罰は有害であり、プロフェッショナリズムを口実にしたパターナリズムは有害ではないだろうかと思うのです、これについては学びを深めたいところです。